こんにちは、りゅうやん。です!
今日は3月11日で、東日本大震災から8年が経ちました。
2011年3月11日、ぼくは高校3年生でした。
当時は、数学の授業でなぜか映画(数学に関する)を観ていました。
14時46分になると、暗い視聴覚室が揺れに揺れて、飾ってあった陶器の置物が床に落ちて割れて、とても恐怖を感じていました。
その後、先生に誘導されて校庭に避難し、他のクラスもぞくぞくと学校から出ていきました。
東京都内でも揺れは大きく、学校の窓ガラスが割れるんじゃないかってくらい、ぐわんぐわんと揺れてたことを覚えています。
交通機関は完全にマヒして、ぼくは帰宅難民として高校で一晩を過ぎすことになりました。
水でふやかした非常食を食べ、寒くて冷たい床の教室で寝たことは、今でも忘れられませんね。。。
携帯の電源が切れそうで電話やメールができず、家族と連絡をとることができませんでした。
(夜中に高校の電話で連絡することができ、お互いに無事であることはかくにんできましたが)
そして、このときの連絡手段としてSNSがあったことがとても大きいと感じたときでもありました。
電話やメールができなくなっても、友達はSNSを使って安否確認をしあっていたことを思いだします
翌朝、友達と歩いてJRの駅にいきましたが、電車がなかなか来ないのと満員になりながら家に帰ったことを覚えてます。
次の日(3月12日)は大学受験の合格発表でしたが、(不合格という)結果なんて吹き飛ぶくらい震災の出来事は大きかったです。
震災から1週間後には、高校で卒業式が予定されてましたが、世間が混乱期のなかで挙行されるかがギリギリまでわかりませんでした。
結果的に卒業式をおこなわれましたが、卒業生の家族はほとんど来ておらず、ぼくの家族も来ることができなかったですね。
ぼくは高校を首席で卒業するという偉業を達成して表彰されたのですが、その勇姿を見てもらえなかったのが残念でなりません。
高校は無事に卒業することはできましたが、大学受験は失敗したので、「浪人か…?」と思ってましたが、法政大学の通信に入学しました。
当時、法政大学を含む都内の大学では入学式が中止となり、計画停電の影響で始業時間が遅らせられたりなどの措置があり、しばらくはざわざわしてました。
震災後に放送されたテレビ朝日のミュージックステーションでB’zが出演し、Brotherhoodを演奏したことを今でも覚えてます。
↓は2番の歌詞になりますが、
うまくいってるかい なかなか大変だよな 全く
こっちだって毎日クタクタになってるたまにはしょーもないハナシで盛り上がろう
言いたいこと言えるから いつも最後は笑顔で別れられるBrother 生きていくだけだよ
ためらうことなど何もないよ 今更
同じ道をゆくわけじゃない
それぞれの前にそれぞれの道しかないんだ
Baby, we’ll be alright, we’ll be alright
We’ll be alright引用:B’z Brotherhoodの歌詞より
色をつけた「こっちだって」の部分を、ボーカルの稲葉さんは、
うまくいってるかい なかなか大変だよな 全く
誰もが毎日クタクタになってるたまにはしょーもないハナシで盛り上がろう
言いたいこと言えるから いつも最後は笑顔で別れられるBrother 生きていくだけだよ
ためらうことなど何もないよ 今更
同じ道をゆくわけじゃない
それぞれの前にそれぞれの道しかないんだ
Baby, we’ll be alright, we’ll be alright
We’ll be alright
「だれもが」と言い換えたのです!
ぼくはB’zファンで、ライブに何度も参戦しているので、この言い換えは以前から聞いたことがありました。
しかし、このときがどれほど響いたことでしょうか!
震災により避難生活やガレキ撤去や炊き出しなどのボランティアで集まった人に向けて、毎日クタクタになっているであろう大変な姿が目に浮かびます。
歌のチカラで励まされるし、音楽は偉大だなって改めて思いましたね。
さいごに、
被害に遭われた方々へ、心よりお見舞いを申し上げます。
また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしております。